伝記,  本の感想

「ヘレン・ケラー」①

2019年1月23~24日

「ヘレン・ケラー」

フィオ・マクドナルド著

菊島伊久栄著

伝記 世界を変えた人々14

 

 

感想が少し長くなってしまったため、

全3部構成としてさせていただく。

 

今回はその第1回目。

「ヘレン・ケラー」の生い立ちと、

最愛の家庭教師「アン・サリバン」との

出会いの始まりを紹介していこう。

 

 


 

世界で一番気になっていた人と言っても過言ではない人、

「ヘレン・ケラー」。

 

「まず目が見えなくて、耳も聞こえないって、一体どうやって生きているんだ?」

という一つの疑問をいつからか抱くようになっていた。

 

そして

「自分ならそんな状況では生きる希望さえ持てない。

暗闇の上に音ない世界なんて想像しただけでも驚くほど怖い。

息が詰まるほど苦しそう。

いっそのこと死んだほうが楽だろう。」

そんなことを考えていた。

 

しかし本書を読み、それは変わった。

 

ヘレン・アダムズ・ケラーは、

1880年6月27日、

アメリカのディープサウスの一つ、

アラバマ州にあるタスカンビアという小さな町で生まれた。

 

父はケラー大尉といい、人望があり、紳士ではあったものの

南部人という土地柄、人種差別思想の持ち主であった。

 

母はケイトといい、容姿が美しく、活発で、話し上手で、知的で、みんなから大変慕われていた。

そんな二人から生まれたのがヘレンであった。

ヘレンは温かく家族に迎え入れられ、とても愛された。

 

ところが1882年2月、

生後19ヶ月の時のこと。

 

立って歩くことを覚え、

おしゃべりを始めていたヘレンに、

突然原因不明の恐ろしい病気が襲い掛かった。

 

高熱を出し、

枕に頭を乗せたまま、身動き一つしない。

かかりつけの医者は、

ヘレンはもう助からないだろうとさえ思った。

そしてこの病気はその後の彼女の人生を大きく変えてしまう。

 

それがどんな病気だったのか、いまだにハッキリわかっていない。

諸説ではある種のバクテリアかウイルスが起こす脳炎にかかったのであろうと言われている。

 

さて、

そんな状況の中ヘレンは生き延びたのであっった。

 

しかし、そんな安堵もつかの間。

 

あんなにニコニコして元気いっぱいだった娘のあまりの変わり様に、

両親はだんだんと気づいていった。

 

安心は、いつしか苦しみに変わっていた。

娘はもはや親を見ることも、

親の声に反応することもできなくなっていた。

 

病気は、

彼女から目と耳の機能をすっかり奪ってしまったのだ。

 

幸福で、愛らしかった赤ちゃんは、

苦しみを背負った孤独な少女に変わってしまった。

 

音のない暗闇の世界に完全に閉じ込められたため、

ヘレンはその欲求不満のはけ口として、

人を蹴ったり、

つねったり、

噛んだりした。

 

また、

陶器を割ったり、

家族のお皿から物を取って食べたり、

着替えることを頑なに拒否したりした。

 

ヘレンの光と音のない世界に近づくにはどうしたらいいか、

家族は必死に考えた。

 

ヘレン自身も自分で努力をし始めた。

彼女は触角と嗅覚をフルに使い、

あらゆる物を丁寧に触り、

においの違いによって物を見分けられるようになった。

 

そして1887年3月3日、

ある一人の女性がヘレンの元へやってきた。

 

そう、

アン・サリバンだ。

 

後になってその日のことを、

ヘレンは

「私の魂の誕生日」

と記している。

 

それは、

この記念すべき日以前にはただ息をしているだけの存在だった彼女が、

それからは本当の意味で生きようとしはじめたからであった。

 

では一体、

いかにしてアンはヘレンの元へやってきたのか。

 

そのきっかけはヘレンの母であった。

彼女は「アメリカ雑記」という本を読んだこと機に、

パーキンズ盲学校のことを知り、

ある一人の男を紹介される。

 

電話の発明者として有名な、

科学者のアレクサンダー・グラハム・ベル博士だ。

ベル博士は、

耳の聞こえない人々の教育と救済に自分の一生を捧げていた。

実生活の上でも、

耳の聞こえない生徒の一人と結婚し、

家庭では手話を使っていた。

 

そんな博士はケラー家の人をワシントンまで招待すると同時に

パーキンズ盲学校の新しい校長、

マイケル・アナグノスを紹介し、

当時6歳のヘレンのために家庭教師を推薦してもらえるかどうか問い合わせてみるよう勧めた。

 

そこで紹介された人物こそアン・サリバンであった。

アンは、

6年間このパーキンズ盲学校で学んだ。

 

彼女は完全に目が見えなかったわけではなかったが、

目をおかす慢性の病に繰り返し悩まされ、

痛みも感じることもしばしばあった。

 

アンは貧しいアイルランド移民の子だった。

お母さんは、アンがまだ8歳の時に亡くなり、

お父さんはアルコールに溺れて子どもの面倒を見なかったため、

アンと弟のジミーは国の救貧院へ送られた。

 

そこでは、

社会の不適合者や脱落者、

つまり病人、精神障害者、軽い罪を犯した人、アルコールや麻薬漬けの人、

あるいはただ単に家族に見捨てられた人が生活していた。

 

二人には悪夢のような日々だった。

ジミーは不衛生でたくさんの人が押し込まれている救貧院のひどい状況の中で亡くなってしまった。

 

アンは、

そこを視察にやってきた福祉事業家たちの腕にしがみついたおかげで、そこから救い出された。

救貧院の有様があまりにひどかったため、

視察団はアンをパーキンズ盲学校へ入学させる手続きを取った。

 

盲学校では厳しい先生と衝突することもあったが、

アンの成績は良く、

やがてクラスの人気者になった。

 

話は戻り、

ケラー一家がベル博士の元へヘレンを連れて行った1886年、

アンは女子の全卒業生の代表としてスピーチを述べるという、たいへん名誉のある役に選ばれた。

 

アンは強情で、

意地っ張りで、

威張ってはいたが、

同時に勇敢で、

思いやりがあって、

たいへん聡明であった。

 

アナグノスは、

この若いアン・サリバンこそ、

ヘレン・ケラーの家庭教師として適任であると考えたのだ。

そしてアンが21歳、

ヘレンが7歳になる数ヶ月前に二人は出会ったのであった。

 

 

 

第2回へつづく。

 

 

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