伝記,  本の感想

「ブライユ」〜点字を発明したフランス人〜

2019年1月26日

 

「ブライユ」

 

伝記 世界を変えた人々

 

 


 

 

私は本書と出会うまで

「ルイ・ブライユ」

という人物の名前すら知らなかった。

 

しかし、

つい数日前に読んだ”ヘレンケラー”がきっかけで本書を手に取ることとなった。

 

まず初めに、

ブライユとは何者か。

 

彼は目の不自由な人たちのために

「点字」

の基礎を開発したフランス人である。

 

彼自身も盲目であったのだが、

不屈の精神と努力により、

現代でも使用されている、

一種の言葉とも言っていいほどの

人間が生きていく上で

なくてはならないツールを開発した。

 

ブライユはフランスのパリ北東に位置するクーブル村という、

のどかな村に四人兄弟の末っ子として生まれた。

 

彼は2歳を過ぎた頃に

父親の作業場に入り込んだ事による不慮の事故のため、

失明してしまった。

 

事故の詳細は今でもわかっていない。

 

彼の鳴き声を聞き、

父が現場に着いた時にはすでに目から出血していたのだ。。。

 

そして出来る限りの策は尽くしたのだが

数日後には彼の視界から光は消えて無くなってしまった。

 

当時の社会的風潮として

障害者への境遇は今では考えられないほど卑劣であった。

 

障害者たちを

演劇の道化として使用し、

それを可笑しがったり、

障害者には

教育をしても無駄だという風潮さえあった。

 

そんな中、

ブライユの類いまれなる知的好奇心や能力もあいまって、

彼の両親たちはできる限りの教育を施そうと試みる。

 

そして6歳の時に

村へ新しくやってきた神父ジャックとの出会いにより、

彼の運命は大きく動き出す。

 

ジャックは

ブライユのその秀でた能力に気づき、

来る日も来る日も

ありとあらゆる分野を彼に教えた。

 

そしてブライユも

その高い吸収力で

どんどんと知識を増やしていき、

学校での成績も常にトップというほどだった。

 

ブライユが10歳になった頃、

彼の父と神父ジャックは

彼のもっと高度な勉強がしたいという願望を受け、

彼を当時では珍しい盲学校(アユイが設立した)へ

通わせることを決意する。

 

それに伴い、

彼はたった10歳で寄宿舎暮らしを始める。

 

そこにいたのは同じ部屋の連中も含め

皆が自分と同じように目の不自由な子供たちだった。

 

初めは寂しさや不安があったブライユだが、

すぐにこれまでとは違った、

より高度な勉強の面白さに目覚め、

学業に邁進することとなる。

そこでも彼の成績はトップクラスだった。

 

しかも目が見えない分、

触覚や聴覚などが研ぎ澄まされていたブライユは、

音楽や、

工作の才能も秀でていた。

 

彼はそれらに意欲的に取り組み

充実した学校生活を送っていた。

そして13歳の時、

フランスの軍人バルビエが考案した

”ソノグラフィ”

と出会う。

 

ブライユは

これは障害者本人にとってはいくつかの障壁があると感じ、

自らその改良に取り掛かる。

 

彼は学業や音楽活動などの傍、

後の

「ブライユ点字」

なるものの作製に取り掛かる。

 

幾度とない試行錯誤を重ね、

ついにそれは完成する。

 

彼の作成した通称「ブライユ点字」は

同じ盲目の仲間たちや

彼に理解のある先生たちからは

非常に好評や賞賛を受けたが、

自分の利益ばかりを考える大人たちによって

世の中への普及は少し遅れることとなる。

 

後に彼の仲間や、

熱心な先生たちの協力によりそれは実現されるのだが。

 

そんな素晴らしいものを作製したブライユであったが、

音楽の分野にも大変通じており、

パイプオルガンの奏者として教会を回ることもあれば、

自身で曲を書くこともあった。

 

そうして数々の優秀な実績を残したブライユも盲学校を卒業するわけだが、

彼はこの後当校の教官として引き続きこの場所で活躍することとなる。

 

彼の授業はとても面白く、

学生たちにも非常に好評であった。

 

また他人思いの優しい人柄もあり、

学生たちからも非常に慕われる先生であった。

 

しかし彼の背後に黒い影が忍び寄ってくる。

 

元々学校のあった場所は薄暗く、

ジメジメしており、

非衛生的な環境だった。

 

そんな場所に10年以上も暮らしていたブライユであったが、

わずか26歳の時に肺結核を患ってしまう。

 

ここがもっと環境の良い場所であれば、

また違った運命になったかもしれないが。。。

 

しかも当時はこの病気の原因も含め、

治療法など、

詳しいことは何も分かっておらず、

ブライユも体調があまりにも芳しくないときに

部屋で休むということくらいしか

対処としては取らなかった。

 

そんな一時しのぎ的なことを繰り返していたわけだが、

ブライユの体調は悪化する一方だった。

 

症状があまりにもひどくなったため、

1ヶ月ほど故郷で安静にしたりもした。

 

そこでは一時的には快方に向かったかと思われたが、

仕事へ復帰ししばらくするとまた吐血や、

疲れが取れない体、

だるさなどといった症状が

前にも増して襲ってきた。

 

それでもブライユは体力の限り教壇に立ち続けた。

 

しかし、

1852年に肺結核のため、

43歳の若さでこの世を去った。

 

かなしいかな、

彼の功績でもある

「ブライユ点字」は

彼が死んだのちに世界的に普及した。

 

そして現在では日本語も含め、

多彩な変化を遂げながら、

世界中の目の不自由な人や

その家族にとって必要不可欠な

人と人をつなぐ羅針盤となっている。

 

そしてその発明と、

彼の功績の偉大さも世界に認められ、

死後100年経った1952年、

ブライユの遺骸はクーブル村からパリへ移動し、

国民的英雄が祀られるパンテオンへ葬られた。

 

 

私は最初にも書いたように、

ひょんなことがきっかけでブライユのことを知った。

しかし知れば知るほど、

特に本書を読み終わる最後まで

非常に興味深い気持ちでいることができた。

 

これはヘレンにも共通することだが、

自分の境遇や運命(さだめ)、

現実を受け入れ、

その中でも諦めることなく、

自分にできる最大の努力と忍耐を続け、

前進することを恐れることなく突き進み、

その障害を乗り越える。

 

そして何より

そんな自分が最も大変だと思われる状況下にいながら、

いつも自分のことより他人のことを思いやる

 

とてつもなく人間的感受性や精神レベルが高く、

そして心の優しきひと。

 

その命のある限り、

最後の最後まで周りを照らすため、

己の命を燃やし続ける。

 

正直、

私は彼らよりも比べ物にならないほど

全てにおいて恵まれている。

 

だから私が不遇と感じることなど、

まるでみじんこのように取るに足らないものである。

 

こんなに自由に何でもやりたいことができるんだもの。

 

最高に幸せじゃないか。

 

だからやっぱり、

この恵まれた環境に感謝をし、

そしてこの命を人のために、

平和な世界のために、

活用したいと本気で思う。

 

私も彼らのように

一人でも多くの人を照らすことに

命の炎を燃やすことができるような人間になるために、

もっとたくさんの油(知識、教養、経験、愛)を仕入れて、

もっと強くて太い大きな糸(人格、信頼)になってゆこう。

 

 

 

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